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千葉地方裁判所 昭和43年(ワ)420号 判決

二三号事件原告・二三一号事件反訴被告・四二〇号事件原告(原告) 上原熊市 外二名

二三号事件被告 石井石油株式会社 外二名

二三号事件被告・二三一号事件反訴原告(被告) 木皿金蔵

四二〇号事件被告 奥山順三

主文

被告石井石油株式会社と被告石井俊一は各自原告上原熊市に対し金四〇万三〇〇〇円、原告上原修に対し金六一万七〇〇〇円、原告今西恒夫に対し金五七万五〇〇〇円と右各金員に対する昭和四二年一月三〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告石井石油株式会社と被告石井俊一に対する原告らのその余の請求および被告緑川隆、被告木皿金蔵と被告奥山順三に対する原告らの請求をいずれも棄却する。

被告木皿金蔵の原告らに対する反訴請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち本訴において原告らと被告石井石油株式会社、被告石井俊一との間に生じたものはこれを二〇分し、その一九を原告らの負担とし、その余を右被告二名の負担とし、原告らと被告緑川隆、被告木皿金蔵、被告奥山順三との間に生じたものは全部原告らの負担とし、反訴において被告木皿金蔵と原告らとの間に生じたものは全部右被告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。ただし、被告石井石油株式会社と被告石井俊一が連帯して原告上原熊市に対し金四〇万円、原告上原修に対し金六〇万円、原告今西恒夫に対し金五〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

(二三号事件と四二〇号事件の本訴請求の趣旨)

1  被告石井石油株式会社、被告石井俊一、被告緑川隆、被告木皿金蔵は各自原告上原熊市に対し金一〇〇〇万円、原告上原修に対し金一二〇〇万円、原告今西恒夫に対し金八〇〇万円と右各金員に対する昭和四二年一月三〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告奥山順三は原告ら各自に対し金五〇万円とこれに対する昭和四三年九月三〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行宣言を求める。

(本訴請求の趣旨に対する被告らの答弁)

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求める。

(二三一号事件の反訴請求の趣旨)

1  原告らは各自被告木皿金蔵に対し金三〇万円とこれに対する昭和四二年六月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

(反訴請求の趣旨に対する原告らの答弁)

主文第三、第四項と同旨の判決を求める。

(本訴請求の原因)

1  (事故の発生) 昭和三九年一月一七日午前九時ころ千葉市武石町一丁目五一五番地所在の木造瓦葺二階建居宅総床面積九二・五六平方メートル(一階には六畳間、四畳半間二室、三畳間、台所、浴室があり、二階には四畳半間、三畳の板の間がある。以下本件家屋という)の一階六畳間において、風呂釜のプロパンガスの不完全燃焼による一酸化炭素中毒(以下ガス中毒という)により住込み店員亡田中敏子(昭和九年三月一〇日生、当時二九年一〇月)が死亡し、原告上原熊市(大正元年一〇月三〇日生、当時五二年)と同人の妻亡上原三知子(大正一一年三月三日生、当時四二年一〇月)が意識不明となつていたのが近所の人に発見された。亡三知子は昭和四〇年八月八日午前四時三六分(当時四三年五月)千葉市亥鼻町三一三番地千葉大学医学部附属病院において一酸化炭素中毒症に基づく腎盂炎により死亡した。原告熊市は入院治療に一一月一五日を要した傷害を受けた。

2  (事故発生の経緯) (一)原告熊市はもと警察官(警察署長もした)であつたが、退職後昭和三八年一二月一六日被告木皿金蔵からその所有の本件家屋を賃借してこれに居住し、千葉市富士見町二八九番地所在の国鉄高架線下の店舗千葉シヨツピングセンターC一地区六号二三・一四平方メートルを賃借し、そこで亡三知子に飲食店(主として焼肉、酒類の販売)を経営させていた。(二)本件家屋の居住者は原告熊市、亡三知子と亡敏子の三名で、炊事と風呂釜にプロパンガスを使用していた。ガス容器(五〇キログラム型)は浴室の外に置いてあつた。浴室はタイル張りで脱衣場は室内になく、浴槽は直方体で長さ約五尺、幅約三尺、深さ四尺ないし四・五尺であつた。(三)原告熊市らは本件家屋を賃借した日から毎晩風呂をわかしていた。原告熊市と亡三知子が交替で風呂をわかしていたが、本件事故が発生するまで異状はなかつた。昭和三九年一月一五日朝亡敏子が浴室の前の壁にくすぶつたあとがあるのを見つけた。そこで原告熊市は翌一月一六日午前一〇時三〇分ころ家主の被告木皿方の電話を借り、プロパンガスの販売店である被告石井石油株式会社にガスの具合が悪いから調節してほしいと申し入れ、同時に新しいガス容器一本を注文した。(四)同日午後一時三〇分ころ被告会社の店員である被告石井俊一が原告熊市方に来て、まずガス容器を新しいのと取替えた。ついで被告石井は風呂釜のバーナーを引出して空気量の調節をした。同人は約五分でその取替えと調整をすませ、午後二時ころ帰つたが、その間原告熊市が被告石井に「完全になおつたか」と聞くと、同人は「完全になおつた」と答えた。(五)原告熊市は同日午後六時ころ亡三知子の経営する飲食店に行つて食事をすませ、午後七時すぎ帰宅して、午後九時ころ風呂をわかした。まず火種栓(パイロツトバーナー)に点火し、次いで右側の本バーナー、左側の本バーナーを順次開けて点火したのち、パイロツトバーナーを消した。原告熊市は午後一〇時ころ入浴したが、まだぬるま湯であつた。すると次第に気分が悪くなつた。おかしいと思つて浴槽から飛び出したが、すぐ意識不明となつて倒れた。(六)亡三知子と亡敏子が午後一〇時ころ帰宅した。亡三知子は原告熊市が入浴しているものと思つたが、なかなか出て来ないので、浴室を見ると、同人が裸のまま倒れていた。亡三知子は二階にいた亡敏子に言いつけて被告木皿を呼んだ。被告緑川隆が午後一一時ころ診察に来た。亡三知子もそのころ気分が悪くなつた。被告緑川は食中毒と誤診し、原告熊市と亡三知子に強心剤を注射して帰つたが、ガス中毒と気づかなかつたため換気もせず、風呂釜のバーナーを消火しないで放置したので、風呂釜は翌朝まで燃え続け、一酸化炭素が家屋の中に充満した。(七)翌一月一七日午前九時ころ被告木皿が原告熊市方を訪れ、一階六畳間で亡敏子が死亡し、原告熊市と亡三知子が瀕死の重態に陥つているのを発見した。原告熊市と亡三知子は救急車で千葉市検見川の斎藤医院に収容された。

3  (被告石井の責任原因)原告熊市は被告石井がガス容器やバーナーを完全に調整したものと信じて点火したところ、一酸化炭素が発生して本件事故がひき起されたのであるから、被告石井にはバーナーの調整などについて業務上の過失があつた。すなわち、(一)同人はバーナーの空気供給調整器(エアダンバー)の調整を適正にしなかつた。そのためガスと空気の混合がうまくいかず、不完全燃焼が生じて一酸化炭素が発生した。(二)同人はバーナーをもとの位置におさめたとき、バーナーの下部を釜の受部にぴつたりとはめなかつた。そのため不完全燃焼が生じ、一酸化炭素が発生した。(三)同人は原告熊市から浴室の前の壁がくすぶつているので完全に点検修理してほしいとの要請を受けたのであるから、高圧ガス取扱業者として、(1) 容器の調整器の圧力が所定の圧力(家庭用は三〇〇ミリメートル)に調整されているかどうか、(2) バーナーのエアダンバーの調整が適正か否か、(3) バーナーの下部が釜の受部に正しくはめられているかどうかなどを十分に調査し、バーナーに点火してガスが完全に燃焼するか否かを調査すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠つた。

4  (被告会社の責任原因、主位的主張)被告石井は被告会社の使用人としてガス容器の取替えとバーナーの調整を行ない、その過失によつて本件事故をひき起こしたのであるから、被告会社は民法七一五条により損害賠償責任がある。

5  (被告会社の責任原因、予備的主張)被告会社は家庭燃料用LPガスの販売業者として、消費者である原告熊市のガス風呂の既設設備が「家庭燃料用LPガスの取扱基準」(社団法人全国プロパンガス協会昭和三八年一二月制定、以下取扱基準という)に適合しない不備のものであつたので、LPガスの供給を差控えるべきであつたのに、取扱基準によらないで同人にLPガスを供給し、そのため本件事故がひき起こされたのであるから、被告会社にはみずからの過失による損害賠償責任がある。すなわち、取扱基準第二節五条七号には「風呂釜用燃焼器具を使用する場合は、不完全燃焼を起こさないために特に風呂釜と燃焼器具とは互に適合したものを用い、かつ通風に注意し、逆風止めおよび有効なトップ(例えば多翼型)を設けた屋外への排気筒を設置すること。なお釜に近い壁面の上部と下部(燃焼器具の位置より低い所)に二六〇平方センチメートル以上の換気孔を設けること」と定められ、その二五条には「販売業者は消費者が設備しもしくはその消費者が使用していた既設設備にガスを供給するときは、第二節および第三節の基準に適合しているか否かを検査し、適合していない場合には適合するように処置すること」と定められて、昭和三八年一二月以降販売業者に周知徹底されていた。ところが、本件の風呂釜には屋外へ通ずる排気筒(以下二次排気筒という)が設置されておらず、釜に近い壁面の上部と下部に有効面積二六〇平方センチメートルの換気孔が設けられていなかつた。したがつて、販売業者である被告会社は原告熊市にLPガスの販売を差控えるべきであつたのに、取扱基準を無視し漫然とLPガスを販売した過失がある。取扱基準はLPガス販売業者にとつて最も重要な保安上の必要から制定されたものであり、高圧ガス取締法の準則となつていて、取扱基準に従つた措置をとらなかつた販売業者は事故の責任を免れることができない。

6  (被告緑川の責任原因、主位的主張)被告緑川は一月一六日午後一一時ころ来診したが、いわゆるインターン生で医師としての資格がなかつたため、その医術上の未熟さから原告熊市らがガス中毒にかかつていたのに、これを食中毒と誤診し、同人と亡三知子に強心剤を注射したのみで帰つた。もし被告緑川が誤診しないでガス中毒と診断していたならば、当然風呂釜のバーナーを消火し、かつ換気するなどにより本件事故を未然に防止できたのに、漫然と診察して食中毒と誤診したため、換気もせず、風呂釜も消火しないで放置したので、風呂釜が翌朝まで燃え続け、一酸化炭素が家屋内に充満して本件事故がひき起こされた。被告緑川の誤診がなければ本件事故は発生しなかつたのであるから、同人には過失による損害賠償責任がある。

7  (被告緑川の責任原因、予備的主張)被告緑川は医師でないのに原告熊市らを診察し、同人と亡三知子に強心剤を注射したから、医師法一七条、二〇条に違反し、損害賠償責任を免れない。

8  (被告奥山順三の責任原因)被告奥山は医師であり、被告緑川を使用して原告熊市と亡三知子を診察させ、被告緑川の過失によつて本件事故がひき起こされたのであるから、民法七一五条により損害賠償責任がある。

9  (被告木皿の責任原因)原告熊市は被告木皿から本件家屋を賃借するについて同人に敷金二五万円を支払つたうえ月二万五〇〇〇円の家賃を支払つたが、これはいずれも高額なものである。原告熊市が賃貸借契約を結んだとき被告木皿に「神戸の都市ガスは風呂釜のたき口から外へ向けて完全な煙突を設置しなければガスを供給してくれないことになつているが、この家はどうして外へ向けて煙突を取りつけていないのか」と質すと、同人は「前住者が半年前から風呂をわかしたが、なんら支障がなかつた」と答えただけで、高額な敷金と家賃を受取りながら、家主として当然なすべきである保安上必要な風呂釜の二次排気筒や通風口、換気孔など通風換気装置を設置するのを怠つた。そのため本件事故がひき起こされたのであるから、同人には過失による損害賠償責任がある。

10  (損害)原告熊市らは次のような損害を受けた。

(一)  亡三知子の損害 二三九三万二四一八円

(1)  逸失利益二〇七七万五七四四円

亡三知子は前記の飲食店を経営し、亡敏子ほか女子三名を使用していたが、商売は繁昌し、一か月の収入は五五万円を下らなかつた。そして、一か月の支出は、酒代七万円、肉代七万円、米代一万円、野薬類代六万円、使用人四名の給料一〇万五〇〇〇円、賃料二万八〇〇〇円、宣伝費五〇〇〇円、雑費二万円と亡三知子の生活費五万円の合計四一万八〇〇〇円であつたから、一か月の純益は一三万二〇〇〇円であつた。亡三知子は死亡時四三年五月であつたから、就労可能年数は一九年である。そうすると、同人のその間に得べかりし利益の死亡時の現価は一五八万四〇〇〇円(年純益)カケル一三・一一六(ホフマン係数)の算式で二〇七七万五七四四円となる。

(2)  治療費六二万二六七四円

(イ) 五五万六一七四円(昭和三九年二月一〇日から昭和四〇年八月八日までの千葉大学医学部附属病院の入院治療費)

(ロ) 四万円(小池薬局の注射液)

(ハ) 二万一六五〇円(国松薬局の注射液)

(ニ) 四八五〇円(正木医院の往診、注射料)

(3)  付添費五三万四〇〇〇円

前記附属病院入院中の付添人の費用、昭和三九年二月九日から昭和四〇年八月八日まで、一日一〇〇〇円で五三四日分

(4)  慰藉料二〇〇万円

(二)  亡敏子の損害 七七五万四九〇〇円

(1)  逸失利益五七五万四九〇〇円

亡敏子は一か月手取り三万円の収入を得て、原告熊市方に住込んでいたから、その一か月の支出は五〇〇〇円であり、一か月の純益は二万五〇〇〇円であつた。同人は死亡時二九年一〇月であつたから、就労可能年数は三三年である。そうすると、同人のその間に得べかりし利益の死亡時の現価は三〇万円(年純益)カケル一九・一八三(ホフマン係数)の算式で五七五万四九〇〇円となる。

(2)  慰藉料二〇〇万円

(三)  原告熊市の損害 二四七万二四二三円

(1)  入院治療費一四万五四二三円

(イ) 七万三五五〇円(斎藤病院)

(ロ) 七万一八七三円(前記附属病院)

(2)  付添費二五万五〇〇〇円

前記附属病院における付添人の費用、昭和三九年二月二三日から同年一一月四日まで、一日一〇〇〇円で二五五日分

(3)  葬儀費七万二〇〇〇円

(イ) 四万二〇〇〇円(亡三知子分)

(ロ) 三万円(亡敏子分)

(4)  慰藉料二〇〇万円

原告熊市は昭和三九年一月一七日から同年一一月四日まで二六二日間入院治療を受け、退院後昭和四〇年三月末日まで自宅で療養して本復したが、ガス中毒による後遺症がいつ再発するかわからないので不安である。同人は当時訴外竹内油業株式会社の常務取締役をしていたが、本件事故によつて退職を余儀なくされた。また、苦楽を共にしてきた妻を失つた精神的打撃は甚大である。

(四)  原告上原修の損害 慰藉料一〇〇万円

原告修は原告熊市と亡三知子の子であり、母を失つたうえ、父が長期間入院したため、当時在学していた甲南大学法学部を中途退学し、就職して働かざるを得なくなつた。

(五)  原告恒夫の損害 慰藉料一〇〇万円

原告恒夫(昭和三六年二月一二日生)は亡敏子の子であり母を失つた。

11  (損害賠償請求権の相続)

(一)  原告熊市は妻亡三知子の損害のうち三分の一にあたる七九七万七四七二円の賠償請求権を相続により取得した。

(二)  原告修は母亡三知子の損害のうち三分の二にあたる一五九五万四九四六円の賠償請求権を相続により取得した。

(三)  原告恒夫は母亡敏子の損害全部の賠償請求権を相続により取得した。

12  (一部請求)本訴において被告会社、被告石井、被告緑川、被告木皿の各自に対し、原告熊市は損害額合計一〇四四万九八九五円のうち一〇〇〇万円、原告修は損害額合計一六九五万四九四六円のうち一二〇〇万円、原告恒夫は損害額合計八七五万四九〇〇円のうち八〇〇万円と右各金員に対する訴状送達の日ののちである昭和四二年一月三〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、被告奥山に対し原告熊市、原告修、原告恒夫は右各損害額のうち各五〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年九月三〇日から支払いずみまで同じ割合による遅延損害金の支払いを求める。

(本訴請求の原因に対する被告会社と被告石井の答弁と主張)

1  1の事実と2の(一)の事実は知らない。2の(二)のうち原告熊市らが炊事と風呂釜にプロパンガスを使用し、ガス容器(五〇キロ)が屋外に置いてあつた事実は認めるが、その余の事実は知らない。2の(三)のうち被告会社が一月一六日原告熊市から新しいガス容器(五〇キロ)一本の注文を受けた事実は認めるが、その余の事実は知らない。2の(四)のうち被告会社の店員である被告石井が原告ら主張の日時ころ原告熊市方に行き、ガス容器を新しいのと取替えた事実と風呂釜のバーナーを引出した事実は認めるが、その余の事実は否認する。被告石井がバーナーに点火してみると異状がなかつたので、空気量の調整をする必要がなかつた。2の(五)ないし(七)の事実は知らない。3の事実は全部否認する。4のうち被告石井が被告会社の使用人であつた事実は認めるが、その余の事実は否認する。5のうち取扱基準が昭和三八年一二月二六日制定された事実は認めるが、その余の事実は否認する。取扱基準は私法人が業者の利益擁護のため自主的に制定した指導要綱であつて、法規性を有しないし、その周知徹底には時日を要したので、被告会社は本件事故当時取扱基準の内容を知らなかつた。事故当時原告ら主張の排気筒や換気孔の設置は必要とされていなかつたし、本件風呂釜を通常の用法に従つて使用するかぎり原告ら主張の排気筒や換気孔は必要でなかつた。けだし、原告熊市らは事故前一か月間毎日本件風呂釜を使用し、その前居住者も長期間これを使用してなんら問題が起きなかつたからである。10と11の事実は知らない。

2  (被告らの無過失)被告石井と被告会社には本件事故についてなんら過失がなかつた。すなわち、(一)ガス容器の圧力調整器の調整は適正であつた。被告石井は昭和三七年一〇月液化石油ガス取扱主任者の資格を取得し、この種ガスとガス器具の取扱業務に従事してきたのであり、バーナーの空気供給調整器の調整は初歩的技術に属する。同人は一月一六日原告熊市に本件バーナーを実験して見せ、完全燃焼と不完全燃焼を生ずる場合などを説明し、不完全燃焼に対する注意を与えたのであつて、その際被告石井がバーナーの空気供給調整を誤つたまま辞去するような事実はありえない。バーナー自体には欠陥がなかつた。バーナーは風呂釜の下部の大きなたき口から挿入して、釜の底に置けばよいのである。(二)プロパンガス使用の風呂釜について原告ら主張のような排気筒、換気孔の設置を義務づける法規やそのような設備をもたない消費者に対するガスの供給を規制する法規は存在しない。被告石井は事故後の昭和三九年一月二五日千葉県プロパンガス協会主催の加盟業者に対する講習を受け、はじめて取扱基準の存在と内容を知つた。(三)本件事故当時はまだプロパンガス取扱業者でさえ二次排気筒、換気孔の設置の必要性についてほとんど知識がなく、このような設備を備えた家庭は絶無に等しかつた。業者がその設備をもたない消費者にガスを販売するに際し、二次排気筒と換気孔を設置させたうえでなければガスを供給しえないとするのは、業者に不能を強いるに等しいものであつた。本件風呂釜は約五〇分で湯をわかすことができ、それに要する空気量は一〇立方メートル以下である。風呂釜の近辺の室内の空気量はその数倍あり、風呂釜の上下には外気に通ずるメガネ石と排水孔があつた。本件風呂釜を二、三時間連続して使用しても空気が不足して不完全燃焼を起こし、一酸化炭素を発生させるようなことはなかつた。業者には消費者が風呂釜を一晩中燃焼させる場合のことを予想して諸種の配慮をすべき義務はない。取扱基準の有無にかかわらず、被告石井と被告会社には事故の発生について過失がなかつた。

3  (被害者の過失)本件事故は本件家屋(すなわち本件風呂釜)の占有使用者の過失によつてのみひき起こされた。すなわち、原告熊市は仮に一月一六日午後九時ころ風呂をわかし始めたとしても、午後一〇時ころ入浴する前に風呂釜の火を一たん消して浴槽に入つた。原告熊市と亡三知子は当夜被告緑川の診療を受けて病状が回復した。そののち右両名と亡敏子のうちのいずれかが風呂釜に点火し、それを消すのを失念した。なお、原告熊市らが最初気分を悪くしたのは同人らが使用していた石油ストーブから発生した一酸化炭素による中毒かあるいは食中毒によるものと思われる。原告熊市らは被告緑川の診療によつて元気になつたのであるから、就寝前に火の元に注意を払い、風呂釜が点火中であつたならこれを消火すべきであつたのであり、かつ、これをなしうる精神的肉体的状態にあつたのに、これを怠つて風呂釜を一晩中燃焼させたため空気の供給量が加速度的に不足し、本件事故が発生した。したがつて、本件事故は原告熊市らの重大かつ一方的な過失によつて発生したのであり、その責任は同人らが負うべきである。

4  (因果関係の不存在)本件事故は原告熊市らが被告緑川から診療を受けて元気を回復し、風呂釜の消火をなしうる状態になつたのち翌朝までその消火を失念し、これを燃焼させ続けたという重大かつ一方的な過失によつて発生した。したがつて、被告会社と被告石井のガス供給行為と原告熊市らの死傷の結果との間には相当因果関係がない。

5  (過失相殺、仮定的主張)仮に被告会社と被告石井に損害賠償責任があるとしても、本件事故は風呂釜を常時管理使用していた原告熊市らの重大かつ一方的な過失によつて発生したのであるから、損害賠償額の算定にあたつてはその過失を考慮すべきである。

(本訴請求の原因に対する被告緑川の答弁と主張)

1  1の事実と2の(一)ないし(五)、(七)の事実は知らない。2の(六)うち被告緑川が原告熊市方に行き、同人と亡三知子に強心剤を注射した事実は認めるが、被告緑川が食中毒と誤診した事実は否認し、その余の事実は知らない。6と7のうち被告緑川が当時インターン生で医師でなかつた事実、同人が原告熊市と亡三知子に強心剤を注射した事実は認めるが、被告緑川に過失があつた事実、同人が医師法に違反した事実は否認する。10と11の事実は知らない。

2  (被告緑川の経歴)被告緑川は昭和三八年三月千葉大学医学部を卒業し、同年四月から船橋市社会保険船橋中央病院でインターン生として一年間実地修練を受けたが、その間小児科、内科、外科、耳鼻咽喉科、産婦人科などについて臨床上必要な医学と公衆衛生に関する指導を受けて医師一般の臨床と技術の実地修練を積み、昭和三九年三月医師国家試験(内科、外科、衛生学を必須科目とし、産婦人科を随意科目とする)に合格して医師免許を取得した。同人は本件事故当時医師一般の知識と技術をほぼ身につけていた。

3  (診療の経緯)被告緑川は昭和三九年一月一六日午後五時すぎころ先輩医師被告奥山方に行き、同人の診療状況をその診察室で見学していると、午後一一時すぎころ原告熊市方の隣人から被告奥山に往診を依頼する電話があつた。被告奥山は被告緑川に「電話の様子ではおそらくガスの不完全燃焼による一酸化炭素中毒であるに相違ないと思うから寸刻の手遅れのため大事に至ることがある。直ちに往診して手当をしなければならないが、今処置中の患者から手を離せないので、早速行つてどんな状況であるか直ちに報告してくれないか」と懇請した。被告緑川は直ちに原告熊市方に赴いたが、同人らは奥の間に臥床して意識不明の状態にあり、亡三知子はすでに痙れんを起こしていた。被告緑川は枕頭の隣人から「最初浴室の近くで原告熊市が倒れ、次いで妻の亡三知子が倒れ、そのあとで同居中の亡敏子が倒れていずれも意識不明となつた」旨の説明を聞き、直ちにこれらの状況を被告奥山に電話で報告した。すると、被告奥山は被告緑川に「明らかに一酸化炭素中毒であるから放置しておけばおそらく死亡する。寸刻を争うから一応血圧を測つてみてくれ、血圧が六〇以下であれば死の転移が予想されるから、まず強心剤としてビタカン、カルジノン、テラプチツク、アミノコルジンを痙れんがあれば痙れん止めとしてフエノバールを各一筒または二、三筒ずつ注射してもらいたい。往診鞄はすぐ届けるし、こちらの患者の処置が終り次第直ちに行くから」と指示した。被告緑川はその指示に従い、原告熊市の血圧を測つたところ、六〇-〇であつたので、即時ビタカン三筒、カルジノン一筒を注射し、亡三知子にはビタカン、テラプチツク、アミノコルジン各二筒、フエノバール一筒を注射した。その結果原告熊市の血圧は一一〇-六〇に上昇し、同人は意識を回復して「夜分おさわがせして申訳けありません。明朝お礼に伺います」と挨拶し、亡三知子は痙れんも治まり意識を回復した。被告緑川は「あとを注意して下さい」と注意して被告奥山方に戻り、同人に診療の状況などを報告した。

4  (医師法一七条に違反しない)被告緑川は医師被告奥山の手足として、同人の指示に従い、緊急的待期的処置(被告奥山が到着するまでの応急的な処置)を施したに止まり、みずからの自由意思に基づく独断的診療行為を施したのではない。また、被告緑川は反覆継続の意思をもつて医業を行なつたのではない。そして、同人はインターン生であり、同人のなした診療行為はインターン生のなし得る実地修練の埓外のものでなく、これを違法視するにあたらない。したがつて、同人の診療行為は医師法一七条に違反しない。なお、同人は医師でなかつたから、同法二〇条違反に問われる理由がない。

5  (医師法一七条違反即不法行為とはならない)仮に被告緑川の診療行為が同法一七条に違反するとしても、その違反が直ちに不法行為にあたることにはならない。同人は被告奥山の指示に従い、脈搏と血圧の測定をなし、各種の注射を施したのであつて、原告熊市らは一時回復しており、被告緑川に診療上の過失はなかつた。また、仮に同人の診療行為が同法一七条に違反し、その違反があれば通常の場合不法行為にあたるとしても、同人のなした診療行為は緊急行為であつたから、同人には過失がない。すなわち、仮に同人が診療行為を施さなかつたならば原告熊市らは死亡という結果を招いたかも知れなかつた。このような場合被告緑川が被告奥山に伴われずに往診し、同人の電話による指示だけで応急措置を講じたとしても、その緊急性にかんがみればやむを得なかつたことであり、大きな危険を避けるために小さな危険を選んだことをもつて過失ということはできない。

6  (因果関係の中断)原告熊市らは被告緑川の適切な診療によつて回復し、肉体的に活動可能な状態になつたうえ気分的にもゆとりができたのであるから、この回復時点において因果関係は中断したといえる。また、被告緑川は原告熊市らの回復状態を見極めたうえくれぐれもあとを注意するよう助言を与えて被告奥山方に戻つたのであり、当時室内の一酸化炭素は稀薄になつていたから、その助言を与えるだけで十分であった。原告熊市らはその後再びガス漏れによつて重態に陥り、死傷するに至つたのであつて、それは右の助言による注意を怠つた同人らの過失によるものである。

7  (過失相殺、仮定的主張)仮に被告緑川に損害賠償責任があるとしても、本件事故は原告熊市らが被告緑川の助言を守らなかつた重大な過失と競合して発生したのであるから、損害賠償額の算定にあたつてはその過失を考慮すべきである。

(本訴請求の原因に対する被告奥山の答弁と主張)

1  1のうち亡敏子と亡三知子の死亡原因と原告熊市の受傷原因は知らないが、その余の事実は認める。2の(一)ないし(五)の事実は知らない。2の(六)のうち被告緑川が午後一一時四五分ころ原告熊市方に出向いて、その主張の強心剤を注射し、風呂釜を消火しなかつた事実は認めるが、被告緑川が食中毒と誤診した事実は否認し、その余の事実は知らない。8のうち被告奥山が医師で、被告緑川を使用して原告熊市らを診察させた事実は認めるが、その余の事実は否認する。10の事実は否認する。11の主張は争う。

2  (被告緑川の診療の経緯)被告緑川が昭和三九年一月一六日午後五時ころ先輩の被告奥山方に来て、診察室でその診療状況を見学していると、午後一一時すぎころ被告奥山に電話で事故が発生したから至急往診してほしいとの救急患者診療の依頼があつた。同人は電話の内容からガス中毒を疑い、救急処置が必要であると考えたが、患者処置中で手を離せなかつたので、被告緑川に「どんな状況か急いで見に行き、直ちにその報告をして症状により応急手当の指示を求めてほしい」と依頼した。同人は急いで原告熊市方に赴き、午後一一時四五分ころ到着した。同人らは奥の間に臥床して意識混濁の状態にあり、亡三知子はすでに痙れんを起こしていた。被告緑川は枕頭の隣人から「原告熊市が最初浴室近くで倒れ、次いでこれを見た妻の亡三知子が倒れ、さらにこれを見た亡敏子も一時失神して倒れた」と聞いたので、直ちにこれらの状況を被告奥山に電話で報告した。同人はその報告を受けてガス中毒を疑い、緊急処置を要すると判断し、被告緑川に「一応血圧を測り、血圧が六〇以下であれば直ちに強心剤と痙れん止めにフエノバールを注射してもらいたい」と指示した。同人は原告熊市の血圧が六〇以下頻脈であつたので即時ビタカン三筒、カルジノン一筒を注射した結果、その血圧は一一〇-六〇に上昇し、亡三知子にはビタカン、テラプチツク、アミノコルジン各二筒とフエノバール一筒を注射した結果、痙れんも治まり意識を回復した。そのときには亡敏子も意識を回復していた。患者三名はまもなく元気を回復し、原告熊市は「夜分おさわがせして申訳けない。明朝お礼に伺います」と挨拶するほど精神的にもすつかり落着き、身体も元気になつた。被告緑川はその場に一時間三〇分いて患者らを観察したが、すでに意識を回復し、身体も元気になつたし、室内の換気も十分で、室内のストーブも消火されており、なんら異状がなかつたので、なおあとを注意するよう万全の指示をして被告奥山方に翌日午前一時一五分ころ戻つた。

3  (被告緑川の無過失)被告緑川が食中毒であると確定的な診断をしたことはない。同人は被告奥川の指示に従い、ガス中毒を疑つてその応急の手当を施した。また、被告緑川は昭和三八年三月千葉大学医学部を卒業し、昭和三九年三月医師国家試験に合格した者であり、事故当時実地修練中であつたが、医師一般の知識と技術を十分身につけていた。同人は被告奥山の指示のもとに患者らの症状と隣人の問診に基づき慎重に診察したのであつて、医術上の未熟さは全くなかつた。被告緑川は室内の換気が十分であつたことを確認した。室内のストーブも消火されていた。風呂釜については夜中であり、換気の状況、隣人らの立会いなどから消火されていたものと考えた。しかも、同人は慎重にあとの注意をするよう指示した。このような事情のもとで同人がさらにみずから各火元の消火をくまなく行なうとか、その確認を行なうとかの行為をなすべき法律上の義務はない。

また、仮に被告緑川が食中毒と誤診したとしても、そのような診断をしたことについて同人には過失がない。同人のなした診療行為は緊急診療であり、緊急診療においては悪意または重大な過失がある場合にのみその責を負う。食中毒も患者が多数発生し、それが重症であるときには意識障害が著明であり、はじめから嘔吐、痙れんなどの脳膜刺激症状を呈することがある。したがつて、同人が食中毒と確定診断したとしても決して過失にはならない。そうすると、風呂釜を消火したり、換気するなどの注意義務は問題とならないし、その誤診に基づく治療が結果的に間違いであつたとしても、その医師に責任はないことになる。

4  (因果関係の不存在)仮に被告緑川の食中毒との診断が誤診で、その診断に過失があつたとしても、その誤診行為と原告熊市らの死傷の結果との間には相当因果関係がない。すなわち、前記のように被告緑川には風呂釜の不完全燃焼によるガス中毒の事故が発生することまで予測すべき法律上の義務がなかつたから、診療当時その原因を発見できなかつたとしても同人には過失がない。仮に同人にその過失があつたとしても、同人は患者らに適切な診療行為をなし、患者らはそのため回復したのであるから、同人の診療行為はそれで終了したというべきである。本件事故は同人が原告熊市方を辞去したのち、元気を回復した同人らが午前一時すぎになつても風呂釜の火元を点検確認せず、消火しなかつた過失に基づいて発生したのであり、被告緑川と被告奥山には原告熊市らの過失行為を防止すべき注意義務はなかつた。

5  (選任監督の無過失、仮定抗弁)仮に被告緑川に責任原因があつたとしても、被告奥山は被告緑川の選任監督について相当の注意を尽したから、損害賠償責任がない。すなわち、被告奥山は医師の使命感、医療の倫理感から夜間の緊急診療の依頼に応じたのであるが、前記の事情から被告緑川を患者方に急いで出向かせるため選任したことについてはなんら落度がなく、緊急診療にあたつて万全の連絡のもとに応急手当を指示して患者らを回復させたことについてはなんら監督上の落度もなかつた。被告両名がこのような適切な処置を講じなかつたならば、患者らが不幸な転帰をとつたであろうと容易に推察できる。

6  (消滅時効、仮定抗弁)仮に原告らが被告奥山に対して損害賠償請求権を取得したとしても、原告らは昭和三九年一月二三、四日ころすでに損害の発生、加害行為の違法性と加害者を知つていたから、その日から三年を経過した昭和四二年一月二二、三日ころには原告らの被告奥山に対する損害賠償請求権は時効によつて消滅した。被告奥山は第一七回口頭弁論期日(昭和四四年六月六日)においてその消滅時効を援用した。

(被告奥山の主張に対する原告らの答弁)

1  被告奥山が被告緑川の選任監督について相当の注意を尽した事実は否認する。被告奥山は資格をもたない被告緑川に命じて往診をさせ、無責任な医療行為をさせた。

2  原告らの被告奥山に対する損害賠償請求権が時効によつて消滅した事実は否認する。原告らが被告奥山を加害者として知つたのは昭和四二年三月一〇日(第二回口頭弁論期日)であり、同人に対して訴状が送達されたのは昭和四三年九月二九日であるから、消滅時効は完成しなかつた。すなわち、原告らは昭和四二年一月一四日受付をもつて二三号事件を提起したが、当時被告緑川を医師であると確信して疑わなかつたので、医師である同人のとつた医療措置に重大な過失があつたとして同人を相手に訴えを提起した。ところが、第二回口頭弁論期日において同人が答弁書に基づいて同人は当時医師ではなく、インターン生で、被告奥山の指示を受けて往診をしたと陳述したので、原告らははじめて被告緑川に指示を与えて診療をさせた被告奥山が加害者であることを知つた。

(本訴請求の原因に対する被告木皿の答弁)

1のうち原告ら主張の日時場所で原告熊市、その妻亡三知子と死亡した亡敏子が発見された事実は認めるが、その余の事実は知らない。2の(一)のうち原告熊市が被告木皿からその所有の本件家屋を賃借してこれに居住していた事実は認めるが、その余の事実は知らない。2の(二)のうち浴槽が原告ら主張の大きさであつた事実は否認し、その余の事実は認める。2の(三)ないし(五)の事実は知らない。2の(六)のうち原告熊市が浴室の横で倒れていた事実、亡敏子が被告木皿を呼びに来た事実、被告緑川が来診し、原告熊市と亡三知子に強心剤を注射した事実、翌朝家屋内に一酸化炭素が充満していた事実は認めるが、その余の事実は知らない。2の(七)のうち原告熊市と亡三知子が瀕死の重態であつた事実は知らないが、その余の事実は認める。9のうち被告木皿が風呂釜に二次排気筒を設置していなかつた事実は認めるが、その余の事実を否認する。10と11の事実は知らない。

(本訴請求の原因に対する被告木皿の主張と同被告の反訴請求の原因)

1  (設置の瑕疵の不存在)被告木皿は昭和三七年秋ころ本件家屋を建築したが本件家屋には保安上不備な点は全くなかった。すなわち、本件家屋では風呂釜のたき口と浴室とは壁で仕切られていて、浴室の入口の戸を開け放つておかなければ、風呂釜の方から浴室へ煙や空気は流れない構造になつている。浴室には外側に硝子戸があるので、換気孔などを設ける必要はない。風呂釜には二次排気筒が設置されていなかつたが、その場所には換気孔に相当する二つの穴、すなわち上方に直径約一五センチメートルの円形のもの、下方に直径約一〇センチメートルの円形のもの、が設置されていて、外気との流通が十分に保たれる構造になつていた。事故当時プロパンガスの危険性は一般にはまだ十分に認識されておらず、プロパンガスを燃料とする風呂釜を使用する場合に二次排気筒やたき口の上方と下方に換気孔を設ける必要があるとは一般に知られていなかつた。ガス供給業者でさえその必要性を十分に認識していなかつたので、被告木皿は業者から右のような設備をするようにと勧告や注意を受けたことがなく、一般に右のような設備を備えないで風呂釜が使用されていた。本件風呂釜は二次排気筒を設置しないまま原告熊市らの前居住者(被告木皿の姪)に使用され、続いて原告熊市らにも一か月使用されたが、その間なんら問題が生じなかつた。したがつて、取扱基準に定められているような二次排気筒や換気孔の設置がなかつたとしても、本件家屋の設置に瑕疵があつたことにはならない。

2  (保存の瑕疵の責任の不存在)本件家屋の直接の占有者は原告熊市らであつた。同人らは風呂釜のある場所の上方と下方にあつた換気孔に相当する二つの穴を風が入つて寒いからとの理由で新聞紙などをつめて塞いでいた。また、同人らは事故当時風呂釜を一晩中点火させていた。本件事故は同人らの右のような過失によつて発生したのであるから、被告木皿には本件家屋の保存の瑕疵に基づく損害賠償責任がない。

3  (瑕疵の通知の不存在)仮に本件家屋に風呂釜の二次排気筒と換気孔を設置しなかつた瑕疵があつたとしても、事故当時一般に二次排気筒と換気孔の設置が保安上必要であるとの認識がなかつたのであるし、被告木皿についても同様であつたから、同人はその瑕疵が存在するとの認識をもたなかつた。本件家屋に瑕疵があつたならば、賃借人である原告熊市らはその補修すべき箇所(瑕疵の存する部分)を賃貸人である被告木皿に通知すべき義務があり(民法六一五条)、原告熊市らはその瑕疵を被告木皿に通知しなかつたから、その瑕疵に起因する事故について同人に損害賠償を請求することはできない。

4  (被害者の過失)本件事故はもつぱら原告熊市の過失によつてひき起こされた。すなわち、(一)本件事故は風呂釜が一晩中点火されたままになつていたため発生した一酸化炭素による中毒が原因で発生した。(二)風呂釜の点火は原告熊市が被告木皿らの辞去したのちになしたのであり、かつ、原告熊市がその消火を忘れたことにより一晩中燃焼し続けたのであるから、その結果生じた本件事故はもつぱら同人の過失によつてひき起こされたといえる。(三)本件風呂釜は同人とその前居住者が使用していたが、それまでなんら故障が起きなかつたから、その設備に瑕疵はなかつた。(四)同人が風呂釜設置場所の上方にあつた直径約一五センチメートルの円形の穴を新聞紙で塞いでいたことも同人の過失である。

5  (不法行為)原告らは本件の事故について被告木皿に損害賠償責任がないことを十分知つていたし、もし知らなかつたとすば、それは極めて容易に知り得たはずであるから、知らなかつたことについて重大な過失があつた。それなのに、原告らは被告木皿に対し二三号事件の損害賠償請求の訴えを提起した。そのため被告木皿は正当な自己の権利を擁護するため弁護士今中美耶子と岩瀬外嗣雄に訴訟の追行を委任し、報酬契約を結んで、昭和四二年四月一〇日右両弁護士に契約金三〇万円を支払つた。すなわち、被告木皿は原告らの不法行為により三〇万円の損害を受けた。

6  よつて、被告木皿は原告ら各自に対し損害金三〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四二年六月一〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(反訴請求の原因に対する原告らの答弁)

1のうち風呂釜のたき口と浴室が壁で仕切られている事実は認めるが、その余の事実は否認する。風呂釜には二次排気筒を設置することが必要であり、その付近に換気孔を設ける必要があつた。被告木皿にはその設置を怠つた過失がある。2のうち原告熊市らが二つの穴を新聞紙で塞いだ事実と同人らに過失があつた事実は否認する。風呂釜が一晩中点火されていたのは被告木皿、被告会社、被告石井、被告緑川らの共同不法行為によるのであつて、原告らの作為によるのではない。3の主張は争う。4の事実は否認する。風呂釜が一晩中点火されていたことについて原告熊市には過失がなかつた。5の事実は否認する。原告らの提起した二三号事件の損害賠償請求の訴えは正当な訴えであるから、原告らには弁護士費用について賠償すべき義務はない。

(証拠)〈省略〉

理由

一、事故の発生

成立に争いのない甲第七号証、死体を撮影した写真であることについて争いのない同第二四ないし第二九号証、弁論の全趣旨によつて成立を認める同第一三ないし第一五号証、証人宮内猛の証言、原告上原熊市、被告木皿金蔵の各本人尋問の結果を総合すると、被告木皿金蔵は昭和三九年一月一七日午前九時二〇分ころ千葉市武石町一丁目五一番地原告上原熊市方(本件家屋)の一階六畳間で亡田中敏子が死亡し、亡上原三知子が意識を失い、一階四畳半の和室で原告熊市が南側窓にもたれるようにして意識を失つていたのを発見したこと、右の三名はプロパンガスを燃料としていた風呂釜の不完全燃焼によつて発生した一酸化炭素による中毒のため死亡しまたは傷害を受けたこと、原告熊市と亡三知子は一酸化炭素中毒(ガス中毒)の後遣症のため千葉市の斉藤病院と千葉大学医学部附属病院に入院して治療を受け、原告熊市は同年一一月二二日退院したが、亡三知子は回復せず、昭和四〇年八月八日死亡したこと、以上の事実を認めることができる。

二、事故発生の経緯

前記甲第七号証、同第二四ないし第二九号証、成立に争いのない同第八ないし第一二号証、証人奥山順三の証言によつて成立を認める同第一六ないし第一八号証、事故現場を撮影した写真であることについて争いのない同第一九ないし第二三号証、原告上原熊市本人尋問の結果によつて成立を認める同第三五号証、証人時田常吉、同宮内猛、同奥山順三、同日暮英夫、同木皿芳子の各証言、原告上原熊市(ただし、後記信用しない部分を除く)、被告石井俊一、同木皿金蔵、同奥山順三、同緑川隆(ただし、後記信用しない部分を除く)の各本人尋問の結果と検証の結果を総合すると次の事実を認めることができ、その認定に反する原告熊市と被告緑川の各本人尋問の結果は右の各証拠と対比して信用しない。すなわち、(一)本件家屋は被告木皿が昭和三七年秋ころ貸家とする目的で建築した木造瓦葺二階建のいわゆる文化住宅である。一階には六畳と四畳半の和室、四畳半の洋室(応接室)、二畳の板間(ビニール畳敷)、台所、浴室、廊下などがあり、その間取りは別紙見取図〈省略〉のとおりであつた。二畳の板間の西に板間(以下西の廊下という)があり、その間には幅八一センチメートルの障子戸がある。二畳の板間の北は廊下(以下北の廊下という)で、その間には障子戸があり、二畳の板間の南に四畳半の和室があつて、その間にはふすまがある。二畳の板間の東側は壁である。西の廊下の北側部分を西へ進むとコンクリートの土間があつて、その西に本件家屋の裏口があり、その土間に風呂釜が設置されていて、裏口のドアの外のすぐ南にプロパンガス容器が置かれていた。西の廊下の南側部分の西に浴室があり、その間には幅八一センチメートルのドアがある。浴室はタイル張りで、その北西隅にタイル張りの直方体の浴槽が床に固定されて設けられてあり、浴槽の西に半窓が設けられている。風呂釜と浴槽の間にはコンクリート壁が設けられている。西の廊下の北、北の廊下の西に台所兼食堂があり、その台所と北の廊下との間には硝子戸があつたが、台所と西の廊下との間には仕切戸がなく、台所から風呂釜のたき口を見通せるようになつていた。一階の床上から天井までの高さは二・七メートルである。風呂釜は銅製で直径約六〇センチメートル、高さ約四〇センチメートルの円筒状をなし、その下部に横約四〇センチメートル、高さ約二〇センチメートル、奥行約五〇センチメートルのたき口があり、風呂釜の上面の中央部から銅製の高さ約四〇センチメートルの煙突(以下一次排気筒という)が垂直に設けられていた。たき口にガス燃焼器具(バーナー)を挿入し、戸外のガス容器から直径約二センチメートルのゴム管でガスをバーナーまで導入し、これに点火してたき口の上方にある風呂釜の内部の水を沸かし、風呂釜と浴槽を結ぶ管(これはコンクリート壁の中を通つている)を通じて沸いた湯を浴槽に送り込み、浴槽の水を沸かす仕組になつていた。風呂釜の西のコンクリート壁の上方に直径約一五センチメートルの穴のあいたメガネ石が設けられていた。風呂釜の西のコンクリート土間に戸外に通ずる排水用の直径約九センチメートルの土管が設けられていたが、戸外の土管の先端は地上に出ていなかつた。被告木皿方居宅は本件家屋の北隣りにあり、同人は自分の居宅、本件家屋、本件家屋の東隣りと西隣り、自宅の東隣りの各居宅五棟を同じ時期に建築し、自宅以外の居宅四棟を賃貸していたが、風呂釜の様式、設置場所と浴室、浴槽の構造は五棟ともみな同一であった。本件家屋では昭和三八年六月ころからプロパンガスを燃料とする風呂釜が使用され、原告熊市の前居住者訴外森某がこれを使用していた。(二)原告熊市は神戸市の東灘警察署長をしたのち昭和三五年五月退職し、同市の訴外竹内油業株式会社の常務取締役に就任したが、訴外川崎製鉄株式会社の千葉工場と取引を重ねるうち、昭和三八年五月ころ千葉市の訴外株式会社千葉シヨツピングセンターから食堂街の一区画二二・一四平方メートルを亡三知子名義で賃借し、そこで同人に焼肉と酒類を出す飯食店柴の家ことらんぷ亭を経営させるようになつた。その飲食店経営が順調に利益をあげたので、原告熊市は神戸市から千葉市に転居することとなり、訴外山田商事の周旋によつて被告木皿から本件家屋を敷金二五万円、賃料一か月二万五〇〇〇円で賃借し、昭和三八年一二月一六日亡三知子とともに本件家屋に入居した。原告熊市はプロパンガスの風呂釜をこれまで使用したことがなかつたが、飲食店の休業日になつていた第一水曜日第三水曜日などのほかは毎晩この風呂釜のバーナーに点火し、これを使用して風呂を沸かした。第一水曜日と第三水曜日などの休業日には亡三知子が風呂を沸かした。亡敏子は同月二三日高知市からやつて来て、原告熊市方に同居し、飲食店の店員として働くようになつたが、自分で風呂を沸かすことはなかつた。原告熊市は風呂釜を使用するのに、まず、火種栓(パイロツトバーナー)のコツクを開けてこれにマツチで点火し、次いて、右のコツクを開けてその本バーナーに点火し、左のコツクを開けてその本バーナーに点火したのち、パイロツトバーナーのコツクを閉じてこれを消火していた。(三)原告熊市は昭和三九年一月一六日被告木皿方の電話を借りて、プロパンガスの販売業を営む被告石井石油株式会社にガス容器の取替えを注文した。被告会社の店員であつた被告石井俊一は同日午後一時ころ原告熊市方に五〇キログラム入りガス容器を持参し、従前の二〇キログラム型ガス容器と取替えた。その際同人から風呂釜の使用法を詳しく説明してほしいと頼まれたので、被告石井はバーナーをたき口から取出してその空気供給調整器を操作して見せ、エアダンバーをねじを回してスライドさせることによつて空気の供給量を調整することを説明し、バーナーに点火して、「黄色の炎が混つているときには空気が不足して不完全燃焼を起こしている証拠であるから、完全燃焼させるため青色の炎になるように空気を増量して調整してほしい」と説明し、本バーナーが青い炎で正常に燃える状態にエアダンバーを調整したのちこれを消火し、バーナーを所定の位置に納めた。(四)原告熊市は同日午後六時ころ亡三知子の経営する飲食店に出かけて夕食をすませ、午後七時ころ帰宅して四畳半の和室で電気こたつにあたりながら青色申告の書きものをし、午後九時ころいつものような方法で風呂釜のバーナーに点火し、風呂を沸かし始めたが、その際エアダンバーには手を触れなかつた。風呂はこれまで四〇分ないし五〇分で沸いていた。原告熊市は約五〇分経つて浴槽の蓋を取り、湯加減を見ると、適温に沸いたように感じたので、入浴した。すると、まもなく意識が混濁してきたので、浴室から出て西の廊下付近まで進んだが、意識不明に陥つた。(五)被告木皿は同日午後一一時ころすでに寝ていたのを亡敏子に「木皿さん、助けて下さい」と大声で戸外から呼び起こされ、直ちに原告熊市方に行つたところ、同人が西の廊下と二畳の板間の間付近に裸で倒れ、亡三知子が北の廊下に顔中を黄色い吐しや物で汚して倒れているのを発見した。そこで、被告木皿はすぐあとからやつてきた妻訴外木皿芳子に医師を呼ぶように命じた。亡敏子は六畳の和室に二組の布団を頭を南に向けて敷き、亡三知子の顔を大雑把に拭いたうえ同人をその西側の布団に寝かせ、自分はうつ伏せになつて亡三知子の西側から同人の背中をさすつた。原告熊市はいつのまにか寝巻を身につけて東側の布団に寝かされていた。訴外芳子は奥山医院に電話をかけ、看護婦に「わけがわからなく二人が倒れているからすぐ来て下さい」と話して、医師被告奥山順三の承諾を得た。同人は同人方に来ていたインターン生被告緑川隆に診察上の指示を与えて往診を依頼した。(六)被告緑川は同日午後一一時三〇分ころ原告熊市方に着いた。亡敏子は亡三知子の足元にうつ伏せになつていて、布団をかぶされていた。被告緑川が診察すると、原告熊市は意識がなく、呼んでも返事をせず、顔が赤くなつていて、脈搏が早くて弱く、血圧が七〇から六〇で、シヨツク状態に陥つており、危篤の状態であつた。亡三知子は意識がなくて痙れんを起こし嘔吐があつて、脈搏微弱であつたが、血圧が一一〇から六八であつたので、原告熊市の症状に比べるとその程度が軽かつた。亡敏子は呼べば答える状態であつたが、意識がやや混濁し、脈搏がやや微弱であつた。被告緑川は直ちに被告木皿方の電話を借りて被告奥山に患者三名の状態を報告し、同人の指示に従つて訴外芳子に奥山医院から注射液などを持つて来てもらい、原告熊市には強心剤であるカルジノン一cc入一筒とビタカンフアー一cc入三筒を注射し、亡三知子にはビタカンフアー一cc入二筒、呼吸循環復活剤であるテラプチク二cc入一筒と呼吸促進剤であるアミノカルジン一cc入一筒を注射した。亡敏子は強心剤の注射を好まなかつたので、同人には注射をせず、頭を低くし、足を高くした状態で安静を保たせた。被告緑山は患者三名を診察し、その原因についてガス中毒を一応考えたものの、そのように断定することもできかねたので、確定的な診断の結果は説明しなかつたが、その場に居合わせた被告木皿夫妻には食あたりかも知れないという趣旨の言葉を述べた。約一時間経過すると原告熊市は血圧が一一〇から七五と回復し、意識が明瞭となり、亡三知子は痙れんが治まり、嘔吐が止まつて意識がやや明瞭となり、亡敏子は意識をほぼ完全に回復した。そこで、被告緑川が患者らに問診をすると、原告熊市は患者三名の住所、氏名、生年月日(亡敏子については年令)をほぼ正確に回答し、「従来から血圧が低く、その晩は酒を飲んで風呂に入ろうとした。ところが台所と浴室の近くで倒れた。それから意識がなくなつた」と答え、亡敏子は「奥さん(亡三知子)がだんなさん(原告熊市)の倒れたのを助けに行き、見て驚いてその場に倒れた。自分も助けに行つたわけだが、腰が立たなくなつて近所の家に救いを求めた」と答えた。被告緑川は患者三名が意識を回復したので、それ以上待機する必要はないと判断し、翌一月一七日午前一時ころ被告木皿夫妻と一緒に交々あとを大事にするように言い残して原告熊市方を辞去したが、その際原告熊市は布団の上に座わり直し、「ずい分お世話になりました。夜分おさわがせしてすみませんでした。もう大丈夫ですからお引取下さい。明朝お礼に伺います」と明瞭に礼を述べた。一月一六日午後一一時ころから一七日午前一時ころまでの間に訴外芳子は被告緑川の指示で本件家屋の台所に行つて割箸を探し、自宅に出入りしたりして玄関、北の廊下、二畳の板間、四畳半の和室を数回往来し、被告緑川は被告木皿方に出入りして同じ場所を数回往来し、被告木皿夫妻と被告緑川は患者のそばでその様子を見ていたが、誰も風呂釜のバーナーが点火されたままであるのを見なかつたし、バーナーが点火されているときに出すガスの燃焼音を聞かなかつた。また、その間玄関の硝子戸は閉められていたが、誰も一酸化炭素の臭いには気づいておらず、一酸化炭素のため気分を悪くすることもなかつた。ガス中毒を疑つた被告緑川でさえ、その原因となる一酸化炭素の発生源がどこにあるのか見当がついていなかつた。そして、その間誰も浴室から水蒸気が他の部屋に流れ出るのを見なかつたし、浴室の中に水蒸気が充満しているように感じてはいなかつた。(七)被告木皿は一月一七日午前九時二〇分ころ出勤しようとして外に出たが、そのついでに原告熊市方に立寄つたところ、本件家屋の玄関、北の廊下、台所、西の廊下などの天井から水滴がしたたり、風呂釜のバーナーが点火されたままになっていたのを発見したので、すぐに訴外芳子を呼んでバーナーを消火させた。浴槽の湯は煮え立つて蒸発し、深さ二〇ないし三〇センチメートルに減つていた。浴槽の蓋はしてあつたが、まばらで乱雑になつていた。亡三知子は六畳の和室の西側の布団の中に横たわり、亡敏子は亡三知子の足元に頭を西にしてうつ伏せになつていたが、原告熊市は裸のまま四畳半の和室の南側窓にもたれるようにして意識を失つていた。三名の顔付近にはいずれも吐しや物があつた。亡敏子はすでに死亡していたが、原告熊市と亡三知子は生存していたので、まもなく救急車で病院に収容された。風呂釜のバーナーに煤がわずかについており、一次排気筒にも煤がついていて、たき口のコンクリート土間にも煤がわずかに落ちていた。

以上の事実と鑑定証人十束支朗の証言、被告奥山、同緑川の各本人尋問の結果を総合すると右認定の(三)ないし(六)のような経緯で発生した一回目の事故も一酸化炭素による中毒であると推認することができ(以下これを一回目のガス中毒といい、そののち(七)のような経緯で発生した事故を二回目のガス中毒という)、(六)の事実によると風呂釜のバーナーはその当時(一六日午後一一時ころから一七日午前一時ころまでの間)消火されていたものと推認することができ、また、(七)の事実と前記甲第二三号証の原告熊市の寝ていた布団が乱れていない状況などによると被告木皿夫妻と被告緑川が辞去したのち原告熊市が風呂を沸かそうとして布団から抜け出し、風呂釜のバーナーに点火したものと推認することができる。

三、被告石井の責任原因

成立に争いのない丙第二号証によると本件のガス容器の圧力調整器は出口圧力水柱約二八五ミリメートルに調整されていて、それは本件の風呂釜のバーナーに適合する圧力調整であり、圧力調整器には故障がなかつたことを認めることができ、成立に争いのない同第一号証によると本件のバーナーはブンゼン式のもので、右側二連と左側四連の火口が絶縁し、その中間にパイロツトバーナーがあるが、そのコツク三個には異状なく、空気供給調整器にも機械的な欠陥がなく、バーナー全体にガス漏れ個所も夾雑物もなく、バーナー自体に不完全燃焼の原因となる構造上の欠陥はなかつたこと、パイロツトバーナーの一次空気供給孔(円孔)は構造上不足なので、点火後パイロツトバーナーを閉じないで使用すると不完全燃焼を起こす可能性があつたこと、当時使用されたプロパンガスの成分は他のプロパンガスと比較してブタンなど炭素数の成分割合が高いものではなかつたこと、バーナーのコツクを全開してプロパンガスを完全燃焼させるのに要する空気量は一時間あたり九・八ないし一〇立方メートルであつたこと、以上の事実を認めることができる。前記二の(一)と(二)で認定したように本件の風呂釜は昭和三八年六月から使用され、原告熊市は同年一二月一六日から毎日これを使用してきたのであり、被告木皿本人尋問の結果によるとこれまで一酸化炭素の発生による事故はなかつたことが認められる。前記二の(四)で認定したように原告熊市は一月一六日午後九時ころいつものような方法でバーナーに点火して風呂を沸かし、約五〇分経過して入浴し、まもなく一回目のガス中毒のため意識不明に陥つたのであるから、その間にガスの不完全燃焼によつて一酸化炭素が発生したものと推認することができる。同人はバーナーに点火するについてエアダンバーに手を触れなかつたのであり、同人がパイロツトバーナーを閉じなかつたとも言い切れない(同人はこれまでいつもこれを閉じていた)のであるから、前記二の(三)で認定したように被告石井が二〇キログラム型ガス容器を新しい五〇キログラム型ガス容器に取替えたのち、エアダンバーの操作の仕方を説明して、本バーナーが青い炎で燃える状態にこれを調整した行為が一酸化炭素の発生を防止するのに十分なものではなかつたと推認するほかない。そして、プロパンガスを使用してまだ一か月しか経たなかつた原告熊市にとつてバーナーの炎の色に気をつけながらエアダンバーをみずから調整することは容易なことでなかつたといえるし、ガス販売業者の店員が調整したのだから安心してよいと考えるのが普通であつて、同人がそう信じてバーナーを使用したとしてもこれを一方的に非難するのは相当でない。成立に争いのない丙第三号証と被告石井本人尋問の結果によると被告石井は昭和三七年一〇月六日高圧ガス取締法に規定する液化石油ガスの取扱主任者の資格を取得し、以後被告会社でプロパンガスの販売業務に従事してきたこと、原告熊市方では台所でプロパンガスを燃料とする二連のガスレンジと大型の石油ストーブを使用していたので、一月一六日同人に十分換気に気をつけるよう注意をしたこと、以上の事実を認めることができるが、それだからといつて、被告石井が一酸化炭素の発生を防止するのにたりるほど完全にエアダンバーを調整したとはいえないし、ガス中毒発生に対する責任を全面的に免れ得るほど十分に注意義務を尽したことにはならない。前記二の(一)で認定したような本件家屋の一階風呂釜付近の構造、二の(四)で認定したような風呂を沸かすのに要した時間(約五〇分)とガスを完全燃焼させるのに要する空気量(一時間あたり約一〇立方メートル)などを総合すると、これまで事故がなかつた事実に照らしてみても、特別の事情が発生しないかぎり、風呂釜付近には風呂を沸かすのに十分な空気量が存在していたものと推認することができる。このことからも一酸化炭素の発生は被告石井がガス容器の取替えとエアダンバーの調整をしたことに関連性があるものと考えられる。なお、一回目のガス中毒が発生した当時大型石油ストーブが点火されていたとの事実を認めるにたりる証拠はない。そして、二回目のガス中毒が後記七で説示するように原告熊市の極めて重大な過失によつて発生したものであつたとしても、それは適正に調整されなかつた風呂釜のバーナー使用によつてひき起こされたのであるから、被告石井のなした前記の行為と二回目のガス中毒の間には因果関係があるといえるし、ガス中毒がその行為のためにひき起こされたとさえいえるのであるから、原告熊市の過失のゆえに被告石井の責任が免除されるとみるのは相当でない。したがつて、被告石井にはガス容器を取替え、エアダンバーを調整するについて業者としてなすべき保安義務を十分に尽さなかつた過失があつたといえる。

四、被告会社の責任原因

被告石井が被告会社の使用人であつた事実は当事者(原告らと被告会社)間に争いがなく、前記二の(三)で認定した事実によると被告石井は被告会社の業務としてガス容器の取替えとエアダンバーの調整をしたということができ、被告石井に過失があつたことは前記三で説示したとおりである。そうすると、被告会社は民法七一五条により損害賠償責任がある。

五、被告緑川と被告奥山の無責任

被告緑川は前記二の(五)と(六)で認定したような経緯で一回目のガス中毒にかかつた原告熊市、亡三知子と亡敏子の三名を診察し、強心剤などの注射をした。その結果患者三名は意識を回復し、そのまま放置しても支障のない状態になつた。患者三名が初診時から約一時間後に意識を回復していることや鑑定証人十束支朗の証言に照らしてみても、被告緑川の施した措置が適切でなかつたということはできない。同人が患者三名の病気の原因について食中毒であると確定的診断を下したとの事実を認めるにたりる証拠はない。また、患者の原告熊市らが被告緑川からその原因について食中毒かも知れないという趣旨の言葉を聞いたとの事実を認めるにたりる証拠もない。そして、被告緑川が食中毒と誤診したために同人または被告木皿夫妻が風呂釜のバーナーの消火を怠つたとの事実を認めるにたりる証拠もない。結局、前記二で認定または推認したように同人ら三名が辞去したのち、被告緑川の診断の結果いかんとは関連なしに、原告熊市が風呂釜のバーナーに点火したため二回目のガス中毒がひき起こされたのであつて、前記一で認定した本件事故は一回目のガス中毒によつて発生したものでなく、二回目のガス中毒によつて発生したものとみるのが相当であるから、被告緑川の診療行為また診断行為と事故の結果との間には因果関係がないといえる。ところで、原告らは被告緑川が医師法一七条、二〇条に違反したから責任を免れないと主張するが、医師法は医療と保健指導を通じて公衆衛生の向上と増進に寄与すべき本分を有する医師の資格と業務を規制し、もつて国民の健康な生活を確保することを目的とする法律で、いわゆる行政目的を達するために制定された法律であり、それに違反した場合に所定の刑罰が科せられることはあつても、その違反が直ちに民事上の不法行為にあたることになるわけではならないから、原告らの右の主張はその事実の存否について検討を進めるまでもなく、理由がない。したがつて、被告緑川には損害賠償責任がない。

被告奥山が医師であり、被告緑川を使用して原告熊市と亡三知子を診察させた事実は当事者(原告らと被告奥山)間に争いがない。しかし、右に説示したように本件事故が被告緑川の過失によつてひき起こされたとの事実を認めるにたりる証拠はなく、しかも、同人の診療行為、診断行為と事故の結果との間には因果関係がないといえるのであるから、被告奥山には民法七一五条による損害賠償責任がない。

六、被告木皿の無責任

被告木皿が本件家屋を所有し、これを原告熊市に賃貸していた事実、風呂釜に二次排気筒が設けられていなかつた事実は当事者(原告らと被告木皿)間に争いがない。本件家屋の一階の間取り、風呂釜の設置場所、浴室とその付近の構造は前記二の(一)で認定したとおりであり、原告熊市が被告木皿から本件家屋を賃借した経緯は同二の(二)で認定したとおりである。証人時田常吉は、本件家屋が建築中であつたときプロパンガス使用の風呂釜を納入し、現場にいた四、五名の人夫に「二次排気筒と換気孔を必ず設けるよう」注意した旨証言するが、この証言は証人日暮英夫の証言、被告木皿本人尋問の結果と対比して信用できない。また、原告熊市は本人尋問において、本件家屋の賃貸借契約を結ぶ前被告木皿に対し風呂釜に二次排気筒を設けてくれるよう頼んだ旨供述するが、この供述も証人木皿芳子の証言、被告木皿本人尋問の結果と対比して信用できない。ところで、被告木皿本人尋問の結果と検証の結果によると被告木皿は本件事故発生後約二週間経つて風呂釜に二次排気筒を設け、風呂釜の西側壁の底部に縦約一〇センチメートル、横約二〇センチメートルの換気孔を設けたことを認めることができる。

前記二の(一)で認定したように浴室にあるタイル張りの浴槽は床に固定されていて、風呂釜との間にあるコンクリートの壁の中に設けられた穴を通ずる管によつて風呂釜と連結されているので、風呂釜の設置位置はおのずから固定されることとなり、風呂釜に設ける二次排気筒、その周辺の換気孔は浴室、風呂釜の設備と一体となる建物の一部として土地の工作物にあたるといえる。証人日暮の証言と被告木皿本人尋問の結果によると風呂釜の西の壁の上方に設けられたメガネ石は風呂釜の燃料として石炭などの煙を多量に出すものが使用される場合を想定し、その煙突を設ける必要があるときに使用するものとして設けられたことを認めることができ、風呂釜の西の土間に設けられていた土管は空気の流通をはかるのに用をなしていなかつたものと推認することができる。証人金糸昌和、同木藤将、同井上雅義、同木皿芳子の各証言、被告石井、同木皿の各本人尋問の結果を総合すると本件事故発生当時プロパンガスの使用方法についてはいわゆる都市ガスの場合とほぼ同じ方法を用いるので十分と考えられ、都市ガスと比べて特に注意すべき点はプロパンガスの比重が空気のそれより大きいので、ガス漏れのないように配慮することとプロパンガスの完全燃焼には多量の空気が必要であることを配慮するこという程度であつたこと、プロパンガス使用の風呂釜に二次排気筒を設けていた事例は極めて少なく、ガス販売業者は手元に二次排気筒を準備しておらず、消費者から特別に注文があつた場合に他の専門業者に依頼して二次排気筒を設置するようにしていたこと、ガス販売業者と消費者は風呂釜に取付けられている一次排気筒で十分に間に合うものと考え、プロパンガスのもつ危険性を十分に認識していなかつたこと、プロパンガスのもつ危険性がガス販売業者の間で認識され、風呂釜に使用するのには二次排気筒と有効な換気孔の設置が必要であるとの取扱基準が制定されたのは昭和三八年一二月であつて、千葉県の千葉地区でガス販売業者の啓蒙のためその点に関する講習が行なわれたのは昭和三九年一月二五日であること、以上の事実を認めることができる。しかし、工作物の設置保存の瑕疵(民法七一七条)にいう瑕疵は客観的に存在するか否かが問題であつて、それについて占有者または所有者の故意過失は問題とならない。前記二で認定した事実から前記三で判示したように一回目のガス中毒と二回目のガス中毒は風呂釜のバーナーの不完全燃焼によつて一酸化炭素が発生したことによるものである。そこで述べたようにバーナーの空気供給調整が適正に行なわれている場合には風呂釜付近の構造などから、風呂を沸かすのに十分な空気量が確保されていたといえる。一回目のガス中毒発生以前と発生時において風呂釜付近の構造に変わつた箇所がなかつたから、ガス中毒はガス供給または燃焼行為と関連性があるものと推認することができるが、ガス供給または燃焼行為にも手違が起こらないとは限らないのであるから、家屋を築造してこれを所有する者はそのような事態をも配慮すべきであつたといえる。すなわち、風呂釜には一次排気筒が取付けられているが、バーナーを室内で燃焼させるのであるし、バーナーの故障、ガス供給調整や空気供給調整の不適正、バーナー使用の不適正などの事態が発生すれば一次排気筒だけでは事故の発生を防止するのに十分でなく、事故の発生を防止するのには二次排気筒を設置することが本来保安設備として必要であつたといえる。もし二次排気筒が完備していたものとすれば、バーナーの燃焼が多少不完全であつたとしても、一酸化炭素の発生による中毒を防止し得たかも知れないのである。メガネ石がたまたま換気孔として換気に役立つことがあつたとしても、それで換気装置が十分であつたとはいえない。そうすると、本件家屋には工作物の設置上の瑕疵があつたといえるが、その瑕疵は右に認定したような事故発生時におけるプロパンガスとこれを使用する風呂釜の危険性に対する認識状況、風呂釜と浴室がコンクリート壁とドアで区画され、風呂釜付近に相当な空間があつて、メガネ石が設けられていたことなどの本件家屋の構造を考慮すると比較的小さいものであつたといえる。

ところで、前記二の(二)で認定したように本件家屋の直接の占有者は原告熊市であり、亡三知子と亡敏子はその占有補助者であつたといえる。そして、検証の結果によると風呂釜の一次排気筒の上部からメガネ石を通して屋外ヘ出るように設置される二次排気筒の構造は比較的単純であつて、一次排気筒、メガネ石、支持装置などからこれを取りはずすことも極めて容易であることが認められ、弁論の全趣旨に照らすと二次排気筒を設置するのに要する費用は比較的少額ですんだものと推認することができる。原告熊市らは昭和三八年一二月一六日本件家屋を賃借すると毎晩風呂釜を使用して風呂を沸かしてきたのであり、前記のように同人らが被告木皿に二次排気筒の設置を求めたとの事実を認めるにたりる証拠はなく、みずからこれを設置しようと思えば賃貸人の同意を得て(弁論の全趣旨によると被告木皿は当時二次排気筒の設置が必要であるとは全く考えていなかつたが、原告熊市がこれを設置するのに同意を与えなかつたとは思われない)容易にこれを設置することができたものと推認することができる。そうすると、本件家屋を事実上支配し、その瑕疵を修補し得た原告熊市は損害の発生を防止するのに必要な注意をしなかつたといえる。すなわち、同人には工作物の保存に瑕疵があつたということができる。ところで、一回目のガス中毒と二回目のガス中毒が二次排気筒および換気孔の設置がなかつたことによつてひき起こされたものか否かは必ずしも明らかでないが、その因果関係の存在を推認できないわけでもない。しかし、不法行為法上工作物責任の責任者が第一次的には工作物の直接占有者であるとされていること、所有者(被告本皿)の設置瑕疵が小さいのに比べ、占有者(原告熊市)の保存瑕疵はそれよりいくらか大きいとみるのが相当であること、後記七で説示するように二回目のガス中毒が占有者(原告熊市)の重大な過失によつてひき起こされたことなどを考慮すると、被告木皿に対し工作物責任として二回目のガス中毒によつて原告熊市に生じた損害の賠償責任を負わせるのは相当でないといえる。このことは同人の占有補助者である亡三知子と亡敏子に生じた損害の賠償責任についても同じである。

七、原告熊市の過失

前記六で説示したように原告熊市には工作物保存の瑕疵があつたといえる。また、前記二で認定または推認したように同人は亡三知子とともに一回目のガス中毒によつて意識不明に陥り、亡敏子は意識混濁に陥つたが、被告木皿夫妻の救助と被告緑川の診療によつて一月一七日午前一時ころには三名とも意識を回復し、被告緑川はその余の手当や看護が必要でないと判断して被告木皿夫妻とともに原告熊市方を辞去した。患者三名が意識を回復したのちその意識不明に陥つた原因をめぐつてどのような会話が交されたのかは必ずしも明らかでない。しかし、原告熊市は被告緑川の問診に対して患者三名の住所氏名生年月日年令などをほぼ正確に回答し、明瞭な言葉で謝礼を述べ、同人らが辞去したのち寝具を乱さないで布団から起き出しているほど回復していたのであるから、一回目のガス中毒の原因について心当りがあつたものと推認することができる。そして、当時の事情からみてそれが風呂釜のバーナーの不完全燃焼によるガス中毒であることに気付いてもいいはずであつたといえる。風呂釜のバーナーはそのころ消火されていた。ところが、原告熊市はそののち布団から起き出して風呂釜のバーナーに点火した。前記二の(七)で認定した事実によると同人はバーナーに点火したのち再び不完全燃焼のため発生した一酸化炭素を吸入して意識を失い、亡三知子と亡敏子も同様に意識を失つて誰もバーナーを消火することができなくなつたものと推認することができる。被告石井本人尋問の結果によると一月一七日午前九時二〇分ころ風呂釜のバーナが消火されたときまでのプロパンガス使用量は一〇キログラム以内であつたことを認めることができるけれども、その数値が正確でないし、バーナーのサイズ(何号にあたるか)が判然としないので、成立に争いのない甲第三〇号証(一五ページ)を参照しても、原告熊市がバーナーに点火した時刻を推計することはできない。風呂釜のバーナーは一七日午前九時二〇分ころ事故を発見した被告木皿の指示によつて訴外芳子がこれを消火した。一回目のガス中毒は事故発生後短時間の間に発見されて、直ちに被告緑川の応急的診療が施され、その結果患者三名が意識を回復したのであるから、患者三名がそのまま安静を保つて一層の回復に努めたとすれば、いずれも事故前のような健康を容易に回復できたものと推認することができる。そして、患者三名は意識を回復したとはいうものの、それは強心剤などの注射によるものであつて、意識不明などに陥つたシヨツクを即時に完全に回復し得たものではなく、肉体的抵抗力が平常より少なからず劣つていたので、たやすく二回目のガス中毒にかかり(もつとも、強心剤の注射をしなかつた亡敏子が先に死亡していたことからみると強心剤の注射はガス中毒に対する抵抗力を増進していたのかも知れない)、そのため死亡と傷害の結果を招いたものと推認することができる。そうすると、本件事故は二回目のガス中毒によつてひき起こされたといえる。

原告熊市は亡三知子とともに意識不明に陥り、被告緑川や被告木皿夫妻の救助を受けて意識を回復し、余後を大事にするようにと言われていたのであるし、また、一回目のガス中毒の原因が風呂釜のバーナーの不完全燃焼によるものと気付いていたと推認できるのであるから、バーナーに再び点火するについては事前に不完全燃焼が生じた原因を究明すべく、バーナーの機械的欠陥の有無、エアダンバーの調整の適不適、燃焼に要する空気量の過不足、換気状況の良不良などを点検し、その欠陥を見つけ出してこれを改善するかあるいは改善するのと同程度の安全な方策を講ずるかして再び同じようなガス中毒を起こさないよう万全の措置を講ずるべきであつたということができ、みずからその措置を講ずることができないのであればガス販売業者など専門家に依頼してこれをなすべきであつたといえる。原告熊市らが二回目のガス中毒にかかつたことからみると同人はこれらの安全策を講ずることを怠つて風呂釜のバーナーに点火したものと推認することができる。そして、この安全策を講じないでバーナーに点火すれば再び同じような経過をたどつてガス中毒が起こることを容易に予測し得たものとみることができ、同人らは、一回目のガス中毒で意識不明の状態にまで陥つたのであるから、これを軽視してバーナーに再び点火した行為は著しく非難されるべきものであつたということができ、したがつて、二回目のガス中毒は原告熊市の極めて重大な過失によつてひき起こされたといえる。

八、損害

そうすると、被告石井と被告会社に負担させるべき損害賠償額は次のとおりとなる。

(一)  亡三知子の逸失利益一三八四万三二〇〇円

記前二の(二)で認定したように亡三知子は千葉シヨツピングセンターの食堂街で飲食店らんぷ亭を経営していたのであつて、前記甲第三五号証、原告熊市本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると亡三知子は亡敏子ほか三名の女子使用人を雇い、一か月四七万七〇〇〇円を下らない収益を上げ、その経費として一か月約三五万円を支出し、その残額から自己の生活費を差し引き、一か月一〇万円を下らない純益を得ていたことを認めることができ、前記甲第一六号証によると亡三知子は死亡時四三年五月であつたことを認めることができるから、同人の就労可能年数は同年令者の平均余命、営業内容その他の事情からみてあと一六年とみるのが相当である。そうすると、同人のその間に得べかりし利益の死亡時における現価は、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、一二〇万円(年純益)カケル一一・五三六(係数)の算式で一三八四万三二〇〇円となる。

(二)  亡三知子の治療費六二万二六七四円

原告熊市本人尋問の結果によつて成立を認める甲第二号証の一ないし四、同第三号証の一、二、同第四号証と同本人尋問の結果によると亡三知子の治療費として原告ら主張のとおり合計六二万二六七四円を要したことを認めることができる。

(三)  亡三知子の付添費五三万四〇〇〇円

原告熊市本人尋問の結果によつて成立を認める甲第三一号証の一ないし一九と同本人尋問の結果によると亡三知子は昭和三九年二月一〇日から昭和四〇年八月八日まで千葉大学医学部附属病院に入院し、その間付添人の看護を必要としたことを認めることができ、その付添費として一日一〇〇〇円の割合で五三四日分にあたる費用を要したことを認めることができる。

(四)  被害者側の過失を考慮しないで考えると亡三知子の慰藉料は二〇〇万円とするのが相当である。

(五)  亡敏子の逸失利益三二四万五二二〇円

原告熊市本人尋問の結果によると亡敏子は単身で昭和三八年一二月二三日から原告熊市方に住込み、以来亡三知子の経営する飲食店で働いていたが、その給料は一か月三万円と定められていたことを認めることができ、弁論の全趣旨に照らすとその生活費はその五割とみるのが相当であるから、同人は一か月一万五〇〇〇円を下らない純益を得ていたことを認めることができる。前記甲第一八号証と弁論の全趣旨によると同人は死亡時二九年一〇月であつたことを認めることができるから、同人の就労可能年数は同年令者の平均余命、職種その他の事情からみてあと三〇年とみるのが相当である。そうすると、同人のその間に得べかりし利益の死亡時における現価はホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、一八万円(年純益)カケル一八・〇二九(係数)の算式で三二四万五二二〇円となる。

(六)  被害者側の過失を考慮しないで考えると亡敏子の慰藉料は二〇〇万円とするのが相当である。

(七)  原告熊市の治療費一四万五四二三円

原告熊市本人尋問の結果によつて成立を認める甲第五号証、第六号証の一ないし一〇と同本人尋問の結果によると同人は斎藤病院と附属病院における治療費として合計一四万五四二三円を支払つたことを認めることができる。

(八)  原告熊市の付添費二五万五〇〇〇円

前記甲第一三号証、原告熊市本人尋問の結果によつて成立を認める同第三六号証の一ないし五と同本人尋問の結果によると同人は昭和三九年二月二三日から同年一一月二二日まで附属病院に入院し、その間付添人の看護を必要としたことを認めることができ、その付添費として一日一〇〇〇円の割合で二五五日分の費用を要したことを認めることができる。

(九)  原告熊市の主張する葬儀費については立証がない。

(一〇)  原告熊市の慰藉料二〇〇万円

原告熊市本人尋問の結果によると同人は昭和三九年一月一七日から同月二二日まで斎藤病院に入院し、その後自宅で養生していたが、後遺症が出てきたので、同年二月一三日から附属病院に通院し、同月二三日から同年一一月二四日まで入院して治療を受け、左眼の視力は減退したまま回復しないものの、ほぼ健康を回復したこと、同人は事故当時前記竹内油業株式会社の嘱託をし、一か月五万円の収入を得ていたが、事故による受傷とその治療のためその職を辞したこと、飲食店を経営して業績をあげてきた亡三知子を失つたこと、以上の事実を認めることができ、被害者側の過失を考慮しないで考えると原告熊市の慰藉料は二〇〇万円とするのが相当である。

(一一)  原告上原修の慰藉料一〇〇万円

原告熊市本人尋問の結果によると原告修は原告熊市と亡三知子の子で、事故当時甲南大学に在学していたが、父母が受傷して長期にわたり入院したので、経済的理由などから大学を退学し、民間会社に就職して働かざるを得なくなつたことを認めることができ、被害者側の過失を考慮しないで考えると原告修の慰藉料は一〇〇万円とするのが相当である。

(一二)  原告今西恒夫の慰藉料五〇万円

記録に編綴されている原告恒夫の戸籍抄本と弁論の全趣旨によると同人は昭和三六年二月一二日父今西実と母亡敏子の長男として出生したが、昭和三八年七月一日父母が協議離婚したので、親権者父実の許で養育されていたことを認めることができ、被害者側の過失を考慮しないで考えると原告恒夫の慰藉料は五〇万円とするのが相当である。

(一三)  損害拡大に対する被害者側の過失

原告熊市本人尋問の結果によると原告熊市と亡三知子は一月一七日朝意識不明に陥つていたのを発見されるとまもなく救急車で斎藤病院に収容され、原告熊市は同月一九日の昼ころ、亡三知子は同日の夕刻ころそれぞれ意識を回復したこと、亡三知子は意識を回復すると原告熊市に一回目のガス中毒の状況について倒れていた同人を発見して被告木皿に救けを求めた事情などを説明したこと、原告熊市と亡三知子は同月二二日斎藤病院を退院したが、その際担当医師がガス中毒の後遺症が起こることを懸念して入院したまま安静を保つよう勧告し、退院するのを反対したのに、これを押し切つて退院したこと、原告熊市らは自宅で養生していたが、二月八日亡三知子にガス中毒の後遺症が現われ、直ちに正木医院の往診を受けたところ、重症であることがわかつたので、翌九日千葉大学医学部附属病院で診察を受け、そのまま入院したこと、その後まもなく原告熊市にもガス中毒の後遺症が現われ、同人は同月一三日から附属病院に通院し、同月二三日から入院したこと、以上の事実を認めることができる。右の事実によると原告熊市らは専門家である医師の勧告を無視して斎藤病院を退院し、余後に対する的確な判断を持たずに独善的な自宅養生を続け、そのため亡三知子の重篤な後遺症と原告熊市の後遺症を招いたと推認することができるので、原告熊市と亡三知子には損害を拡大させたことについて過失があつたといえる。

(一四)  賠償額

事故の発生と損害の拡大に対する被害者側の過失を考慮すると、被告らに負担させるべき損害は次のとおりとするのが相当である。

(イ)  亡三知子の損害については(一)ないし(四)の合計一六九九万九八七四円のうち八五万円

(ロ)  亡敏子の損害については(五)と(六)の合計五二四万五二二〇円のうち五二万五〇〇〇円

(ハ)  原告熊市の損害については(七)、(八)、(一〇)の合計二四〇万〇四二三円のうち一二万円

(ニ)  原告修の損害については(一一)の一〇〇万円のうち五万円

(ホ)  原告恒夫の損害については(一二)の五〇万円のうち五万円

(一五)  損害賠償請求権の相続

亡三知子に生じた損害のうち原告熊市はその三分の一にあたる二八万三〇〇〇円の、原告修は三分の二にあたる五六万七〇〇〇円の各損害賠償請求権を相続により取得し、原告恒夫は亡敏子に生じた損害全額の損害賠償請求権を相続により取得したことを認めることができる。

そうすると、被告石井と被告会社が連帯して負担すべき賠償額は、原告熊市に対し四〇万三〇〇〇円、原告修に対し六一万七〇〇〇円、原告恒夫に対し五七万五〇〇〇円となる。

九、不当訴訟の不成立

前記甲第七号証と原告熊市本人尋問の結果によると本件のガス中毒による死傷事故について千葉中央警察署の担当警部補は原告熊市に対して過失致死罪の容疑をかけ、その捜査をなしたこと、原告熊市はこれを心外とし、弁護士木寺義通を弁護人に選任してその防禦方法を講じたこと、以上の事実を認めることができ、被告木皿本人尋問の結果によると木寺弁護人が被疑者原告熊市の刑事責任弁護の方策を講ずるため被告木皿をしばしば訪問し、同人に被疑者弁護のため協力してほしいと依頼していたことを認めることができる。しかし、原告熊市が被告木皿に刑事責任の弁護を依頼したからといつて、その内容が明らかではないけれども、そのことから直ちに原告熊市が被告木皿に対する民事責任の追及を放棄したとか、同人に民事責任のないことを容認したと推認することができるわけでもない。原告ら三名が被告木皿に損害賠償責任がないことを知り、または重大な過失によつてこれを知らずに同人に対する本件訴えを提起したとの事実を認めるにたりる証拠はない。前記六で判示したように被告木皿の損害賠償責任の有無は微妙な問題点を含んでいて、一見して明白に判別できる性質のものではないのである。したがつて、原告らは被告木皿に対し不法行為による損害賠償責任を負わないといえる。

一〇、結論

以上のとおりであるから、原告らの被告石井と被告会社に対する請求は原告熊市において四〇万三〇〇〇円、原告修において六一万七〇〇〇円、原告恒夫において五七万五〇〇〇円と右各金員に対する訴状送達の日ののちである昭和四二年一月三〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める限度で理由があるが、その余は理由がなく、原告らの被告緑川、被告奥山と被告木皿に対する請求はいずれも理由がない。被告木皿の原告らに対する反訴請求はいずれも理由がない。

よつて、右の理由のある請求を認容し、理由のない請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言と仮執行免脱宣言について同法一九六条一項三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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